信じるということ

信じる者は救われる、本当にそうでしょうか?
 
いきなり核心を言っちゃいます。
 
信じている時点で真実では無い。
 
 
これ、わかります?
 
先日もこのことについて書いたのですが、大事なことなのでもう一度書きます。
 
 
「信じている」というのは、「信じたい」なのです。そして、「信じたい」は「信じていない=識らない」ということです。
 
もうちょっと論を進めると、「信じている=頭の理解=人間脳」で、「識っている=肚感覚=は虫類脳」なんですね。
 

人間脳は一番後にできた大脳新皮質で、論理・理性・思考。
動物脳は大脳辺縁系で感情・快・不快・気持ち・気分。
は虫類脳は脳幹(視床下部)で、生存に関する本能・感覚(安心・安全)。
 
ポール・マクリーンの脳の三層説より

 
人間脳は思考で、は虫類脳は感覚ですから、「思考では無く感覚で」『信じていると感じてみてください。どこら辺で感じているかわかりますか? 肚より少し上の感じでは無いでしょうか? 完全に肚に落ちたときの感じはずしっとした「本当にそうだった!」という感覚を伴います。それとはちょっと違った、もう少し浮ついた感覚ではないですか?
 
ここら辺の感覚は、洗脳の有無・教え込み(教化)があっても変わりませんが、素直に感じることを邪魔することがあります。特に「こうあるべきだ」系のものがあると、いわゆる「頭が固い」状態になり、頑固になります。
 
頭が固いとは、電気信号の流れるパターンが固定化されているということですね。自由な自然なエネルギーの流れが阻害されているということですから、その部分に問題が起きます。川は蛇行して自由に流れるのが自然ですが、無理矢理真っ直ぐに流れを変えて、護岸工事をしたような状態だと思えばわかりやすいでしょう。
 
 
話を戻しますが、「信じている」という状態の感覚は、肚からではない、ということがミソです。僕は胃のあたりに感じますし、人によって色々変わると思います(場所によってそれが持つ意味も変わります)が、肚に落ちたときの感覚は「安全・安心」なので、うれしい感じや、幸せ、ワクワクした感じが伴うのが特徴ですから、肚に落ちたときの感覚を覚えておいて比較するのが最も手っ取り早いでしょう。
 
その肚(ハラ)からでは無いということは、魂からではない、本当の正直で素直な自分ではない、ということなんです。つまり、「信じている」というのは、仮面の自分(ペルソナ・人からこう見られたい自分など)とか、こうあって欲しい期待などの、不自然なエネルギーの流れになりますから、余計な抵抗を生む元になります。気づいたら断捨離しちゃいましょう。
 
 
ここでちょっと補足しておきますが、「真実」とは、その人その人で変わるということです。変わるのは、視点が変わるので、いろいろな側面が見えるということ。コインの表と裏と横から見たのでは違いがあるのと同じです。
 
 
まとめます。「信じている」と言った時点で、それは嘘(偽り)になります。自分についている嘘です。ここから、「本当の自分(=魂の自分)」からの乖離が始まります。「~と信じたい」なら、自分に正直な気持ちなので乖離しませんが、「信じている」は乖離の元凶です。
 
魂の自分に還るなら、ここ、しっかり認めていきましょう。
 
 

 

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